24時間看護師常駐 【カイロス・アンド・カンパニーのホスピス住宅】

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大好きなパチンコと晩酌をもう一度

大好きなパチンコと晩酌をもう一度

ファミリー・ホスピス 四之宮ハウス

節子さん(仮名)のケース

福岡県で飲食業を営んでいた70代の女性。肺がんで骨転移があり、長く抗がん剤治療をしていたが、本人・家族共に生活を重視したいと望み、ソーシャルワーカーの紹介で入居した。

2017年5月 ホスピス住宅での療養を決断
・肺がんの末期で骨転移もあり、長く病院で抗がん剤治療をしていた
・ご家族もご本人も、治療よりも生活を重視したいと望んだ
2017年6月 四之宮ハウスに入居
・パチンコ店の見える角部屋に入居
・入居当時は食欲がなく、起き上がるのもやっとの状態だった
好きなものを少しずつ食べるように
・明太子や高菜漬けなど、出身地ゆかりのものを少しずつ食べる
・ほんの少しではあるが、晩酌を楽しむこともあった
・部屋に手すりやセンサーマットを設置していた
7月 店に行き、大好きなパチンコを楽しむ
・店舗の協力のもと、娘と看護師が付き添い、車椅子で入店
・直前までは状態が悪く、会話もやっとだったが、この後少し回復する
9月 全身状態が低下し、寝たきりになる
・痛み止めの薬が増える
・ひ孫が生まれ、その写真を見ることができた
親族に見守られて穏やかに亡くなる
・尿道カテーテルも点滴もないお看取りができた

肺がんの末期で骨転移もあり、長く病院で抗がん剤治療を受けていた節子さん。いよいよ予後が短いとわかると、ご本人もご家族も、治療よりも生活を重視したいと望んだ。退院を希望したところ、ソーシャルワーカーからハウスを紹介される。ご家族が見学に訪れ、本人も納得の上で入居を決めた。

入居前、ハウスの看護師が節子さんに会いに行った。節子さんは、治療で疲弊していて食欲もなく、ほぼ起き上がれない状態だったが、病院から出られることを喜び、「よろしく」と挨拶した。

パチンコやカラオケ、晩酌が好きだった節子さん。ハウスの隣にパチンコ店があると知ったご家族の強い希望で、節子さんは窓から店が見える角部屋に入居した。毎日、部屋から店を眺め、「いつか行きたい」と言う節子さんに、スタッフは「そのためにもご飯を食べましょう」と提案。すると、明太子や高菜漬け、有明海苔など、出身地ゆかりのものをお粥と一緒に少しずつ食べるようになった。時には焼酎を嗜むこともあった。起き上がる機会も増え、ダイニングで他の入居者と談笑したり、車椅子で外の空気を吸いに行ったりもできるようになった。

入居から1か月ほどして、念願のパチンコに。その直前、会話もやっとという状態まで具合が悪くなっていたが、少し落ち着いたところで娘と看護師が付き添い、パチンコ店に向かった。店員さんも快く車椅子のスペースを作ってくれた。パチンコを楽しんだ節子さんは目をキラキラと輝かせ、その後しばらくは少し調子を戻した。

9月になると、再び起き上がるのが難しくなり、ほぼ寝たきりに。前胸部の痛みや呼吸苦、倦怠感などの症状が強くなる。親族がお見舞いに来ることも増え、その度に意識が戻ったりもしたが、徐々に眠っている時間が長くなり、最期はたくさんの親族に見守られて亡くなった。尿道カテーテルも点滴もない、自然な形のお看取りとなった。入居時は余命1〜2か月と思われたが、3か月ほど穏やかに暮らすことができた。

座談会

最期まで凛とした佇まいでご自身らしい生活

看護師・介護士・調理師が、節子さんのハウスでの生活について振り返りました。

スタッフとも友人のように

調理師:節子さんは入居された当初、ほとんど食欲がありませんでした。ただ、明太子や高菜、有明海苔などの故郷のものや、シャーベットであれば、少し召し上がることができました。お酒がお好きだったこともあり、私が作った甘酒のシャーベットは好んで召し上がっていましたね。晩酌に焼酎を氷で薄めて、少しだけ召し上がることもありました。

看護師:やりとりの中で、「ラーメンが食べたい」とおっしゃったこともありました。お店まで行くのは難しかったけれど、近所のラーメン屋さんからとんこつラーメンの出前を取り、スタッフと一緒に食べました。とても喜んでくださいましたね。

介護士1:はじめのうちは、節子さんも皆が集まるダイニングで食事をしていたのですが、お食事中にお箸やスプーンを落としてしまい、悲しそうな表情をすることが続きました。周りの方の目も気になったのか、節子さんは程なくしてお部屋でお食事をするようになったんです。

介護士2:ダイニングで談笑しながら食事をする雰囲気は楽しまれていたので、お一人でのお食事は寂しそうでした。そこで、私たちスタッフが休憩の時に節子さんのお部屋に行って、「一緒に食べてもいいですか?」と声をかけ、介助しながら一緒に食事をしたり、おやつを食べたりしていました。お話をするのが好きな方だったこともあり、「また来ますね」と言うと、必ず「また来てね」と言ってくださいました。

調理師:飲食店を営んでいらしたこともあって、お料理をされるのもお好きだったようです。私が一人で調理をしていると、「元気になったら手伝いに行くから待っていてね」と、よく声を掛けてくださいました。私も業務終了後によく節子さんの部屋に遊びに行き、一緒にテレビを見たりしていました。スタッフとしてはもちろん、一人の友人としてもお付き合いさせていただいたという感じです。

介護士1:私たち介護士にも、よくねぎらいの言葉をかけてくださいました。ご自身のお体の具合が良くないときでも、常に周囲への心配りを欠かさない、格好いい方でしたね。

介護士2:かと思えば、お茶目な面もありました。例えば、節子さんは抗がん剤の影響で髪の毛がほとんどなかったのですが、他の入居者の方とウィッグや帽子を交換して、嬉しそうにかぶっていたことがありました。また、念願のパチンコに行った後も、まるで少女のように目をキラキラさせていました。そういう微笑ましい姿を見て、私たちスタッフも支えられていたように思います。

家族も納得の自然な最期

看護師:節子さんは商売で成功なさったこともあり、親族の方々からもとても慕われていました。お見舞いには主に二人の娘さんが来ていましたが、時にはお孫さんが来て元気に走り回り、ハウスが賑やかになることもありました。

調理師:亡くなる前にはひ孫さんも生まれて、直接お会いになることはできなかったものの、写真でお顔を見ることができて、喜んでいらっしゃいましたね。

介護士1:娘さんやお嫁さんが頻繁にいらして、綺麗なお洋服やパジャマを整えてタンスに入れてくださっていたので、いつも身ぎれいにされていましたね。お客様がいらっしゃる時には、ベッドの上でもしゃんと居住まいを正していらっしゃいました。できないことが多くなっていくなかでも、自分らしさを大切にしたいという節子さんの思いを感じました。

介護士2:亡くなる一週間ほど前、血圧もずいぶん下がり、ほとんど会話もできないほど衰弱されていたのですが、お風呂に入れて差し上げたら「気持ちいい」とおっしゃったんです。その時の穏やかな顔や声は忘れられません。

看護師:全身状態が落ちてきたときには、ご家族も納得の上で、必要以上の医療処置を施さず、自然に委ねました。尿道カテーテルも点滴も、酸素も使いませんでした。徐々に眠っている時間が増えていき、最期は穏やかに亡くなりました。お別れの際には節子さんらしいエンゼルメイクを施していただき、本当にお綺麗な姿で旅立たれました。

介護士1:お看取りの瞬間、ちょうど娘さんが席を外していて、立ち会うことができなかったそうなのです。娘さんは泣いてしまったのですが、その時、看護師は「お母様はご自分の最期を見せたくなかったのではないでしょうか」と言ったそうです。その話を後から聞いて、私自身も救われたような気持ちになりました。いつも凛としていた、節子さんらしい最期だったのではないかと思います。

センター長インタビュー

日常をその方らしく過ごせるよう支援をする

急性期から在宅ホスピスへ

私はずっと外科系の急性期病棟で働いていました。病院での緩和ケアの必要性を強く感じ、認定看護師の資格を取得して、緩和ケアチームの立ち上げにも携わりました。その後、家庭の事情で長時間の勤務が難しくなり、しばらくは教育職を務めていましたが、たまたま自宅から近い当ハウスの存在を知り、センター長として現場に戻ってきました。

当ハウスには「おうちが病院」というコンセプトがあります。家に帰りたいという方は多いですが、実際にケアを担うご家族には、不安もたくさんあると思います。特に医療依存度が高い方の場合、ご家族の負担も大きくなるでしょう。そういった事情で、ご自宅に帰るのが難しいという方にも、残された時間を自分らしく過ごしていただきたいと考えています。おうちに近い環境でありながら、専門家による医療的ケアが提供できるので、ご本人にもご家族にも安心していただけると思っています。

日常生活を多職種で整える

緩和ケアというと、死に向かっていくケアという印象が強い方も少なくありません。でも私は、緩和ケアは最期のときまで生きていくためのケアだと考えています。最期のときまで生活する場を、私たちはしっかり整えていきたい。もちろん、特別なお出かけなどのイベントがあればご本人も喜ばれますし、そうした機会は大切にしていますが、そのベースとなるのは日常生活です。ですから私たちは、日常生活をその方らしく過ごせるような環境づくりに力を入れています。

そしてそのためには、看護師、介護士、訪問診療医、薬剤師、調理師など、多職種の力が必要です。介護士は生活を支え、調理師は食を支え、看護師は医療に責任を持って、専門的ケアを提供する。ご本人やご家族の希望と必要な医療のバランスを取ることには難しさもありますが、その時その状況におけるベストを、多職種みんなで見つけていくことが理想です。専門性も教育背景も違う多職種が連携してより良いケアを提供するには、さまざまな価値観を受け入れる柔軟な姿勢と、現状を客観的に俯瞰する力が必要です。スタッフにもそうあってほしいですし、自分自身も日々心がけて、理想に近づけるように頑張ります。

千田 明子
ファミリー・ホスピス 四之宮ハウス センター長
緩和ケア認定看護師