24時間看護師常駐 【カイロス・アンド・カンパニーのホスピス住宅】

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最期まで自分の口からごはんを食べたい

最期まで自分の口からごはんを食べたい

ファミリー・ホスピス 鴨宮ハウス

静枝さん(仮名)のケース

神奈川県の温泉旅館の女将をつとめていた80代の女性。多発性骨髄腫、余命1か月と宣告されたが、入院生活でのQOLの低下を心配した娘・桂子さん(仮名)の希望でハウスに入居した。

2016年3月 病気の告知
・多発性骨髄腫の診断
・せん妄などにより、病院では身体拘束を受ける
4月 ホスピス住宅での療養を決断
・自分らしく過ごしてほしいという桂子さんの思い
5月 新生活での変化
・酸素機器や尿道カテーテルを外せるようになる
・トイレにも歩いて行けるように
11月 外食も可能に
・スタッフとお寿司を食べに行き、帰り際には散歩まで
・家族も協力して何度も外出する
2017年3月 全身に痛みが出てくる
・最期まで食べることの喜びは忘れなかった
9月 家族に見守られてのお看取り

多発性骨髄腫の診断を受け入院した静枝さん。環境の急激な変化になじめずせん妄が出てしまう。抑制着を着せられミトンをはめられた姿に娘の桂子さんは耐えきれず、かねてから関心を寄せていた鴨宮ハウスへの入居を決断した。

ハウスのすぐ近くには川があり、5月になると色とりどりの鯉のぼりが川沿い一帯に飾られる。スタッフが入居したての静枝さんに「気分転換に行ってみようか?」と声をかけたのが、元気を取り戻すきっかけになった。スタッフ間での調整を行い、酸素機器や尿道カテーテル等の本人が 嫌がる医療措置を、リスクを考慮しつつできるだけ外していく。手すりの設置とリハビリにより、トイレにも一人で行けるようになった。

入院当時は食欲がほぼなかった静枝さんだが、食卓に来て周りの人が食べているのを見ると不思議と皿に手が伸びていく。入居半年後には「(好きだった)お寿司が食べたい」と言い出すほどに食欲が回復した。スタッフは車椅子でも入れる寿司屋を探し、ある天気の良い日、静枝さんと出かけた。静枝さんはおいしいからと、スタッフが心配するほどの量をぺろりと平らげる。帰りに散歩に寄った箱根山や海が見える丘では、車椅子を降りて自力で歩き出すほど気分が良くなった。それからは、正月など季節のイベントごとに、家族やスタッフが外出の機会を作るようになった。

気力と体力の回復が押しとどめていたとはいえ、病は少しずつ進行していた。まずは足、それから腰と徐々に痛みが出始める。骨折のリスクはあったが、やはりひとりで食べるのは寂しいと、昼だけでも部屋から出て食べていた。幸い誤嚥もなく、様々な症状を緩和しつつ、静枝さんは最期まで食事を楽しむことができた。終末期の1か月は桂子さんが部屋に寝泊まりし、ほぼ付きっきりで過ごした。「お嫁に行ってから実家に帰ることも減っていましたが、濃密な1か月を過ごせてよかったです」最期はお婿さんやお孫さんにも囲まれて、静かに息を引き取った。

座談会

「食べる」ことにこだわった静枝さんの療養生活座談会

看護師・介護士・調理師が、静枝さんのハウスでの生活について振り返りました。

自分らしくいられる環境

介護士:静枝さんからは、昔のお話をよく伺いましたね。家族構成から何から、いろいろなことを教えてくださいました。入居後に外出したときのことも楽しそうにお話しされて、「今度はあそこに行きたいね」などと盛り上がることもありました。そうやって一緒に楽しいものを見つけながら過ごせたかな、と記憶しています。

調理師:うちは本当に普通のマンションのような、おうちのような雰囲気があると思うんですね。お部屋のつくりも、病気になる前のご自宅に似ている感じにセッティングしたりもできるんですよね。そういうのって大事で、馴染みの環境にいると、人って落ち着くんです。病院にいらした頃とは見違えるようになられる方も少なくないですよ。ここに来るまでは経口摂取はまず無理だろうと言われていた方が、ここに移ってきたその日から、嘘のように食欲が出て、食べられるようになったとか。ご家族の皆さんもびっくりされますし、もちろん喜んでくださいます。余命宣告されたのに、こんなに元気になるんだって。

看護師:静枝さんは、最初いらしたときは尿管カテーテルが入っていました。でも管がなくても生活できるんじゃないかと感じ、少しずつみんなで様子を見ながら、管を外していったんです。うちは病院とは違って、多くの患者さんのリスク管理をしなければならないという環境ではないので、柔軟に対応できるのかな、と理解しています。

食べる喜びを大切に

調理師:静枝さんはお魚が大好きで、あまり食欲がないときでも、お刺身とかをお出しすると、少し食べていただけることもありました。ここでは、ご自宅で普段召し上がっていたような食事を提供することを大事にしているんです。献立が決まっているということもなくて、「この人は今日何が食べたいかな」「あの人はどうかな」と考えて、スーパーに買い物に行く。材料が足りなくてメニューを考え直すようなこともあります。僕は栄養士や薬剤師の免許を持っているわけでもなくて、ここに来る前は飲食店で働いていました。栄養バランスはもちろん考えますが、カロリーをしっかり計算して皆さんの健康を管理するというよりは、食べておいしいと思えるものをお作りできれば、と思っています。

介護士:亡くなる前、日中ぼんやりしている時間が多くなっていた時期も、お寿司と一緒にスプーンを渡してみたら、ご自身で持って召し上がるので驚いた、ということもありましたね。

家族も納得できる最期の時間

看護師:静枝さんの場合、余命は1か月と言われていたんです。でもここに来られてから、どんどん元気になっていく。娘の桂子さんも、「病気はどこにいっちゃったんだろう」とおっしゃっていたりしましたね。

介護士:桂子さんはお仕事が忙しかったんですが、こまめに静枝さんに会いにいらしていました。夜の9時とか10時に、仕事が終わってちょっと顔を見に来る、というような感じで寄られていました。でもなかなかゆっくりは来られないので、随分私たちにいろいろ任せてくださいましたね。「母が明るくなりました」「楽しそうに過ごしています」と言っていただけたり、「甘えてしまってごめんなさいね」とおっしゃっていたこともありました。信頼してくださっているのが感じられて、私たちも嬉しかったです。

看護師:ご家族は、自分たちにできることとして、一緒に外食に行く機会をよく作っていらっしゃいました。静枝さんは、亡くなる直前は痛みも強くなっていたので、出かけるのがしんどい時もあったと思うんです。けれど「ごはんを食べに行くのも疲れるのよ」なんて愚痴をこぼしながらも、しょうがないわと笑って出かけていらっしゃいましたね。

介護士:私たちは、そういうこともあっていいと思っているんです。ご本人の希望、ご家族の希望というのは、それぞれ独立して存在するものではなくて、相互に関わり合うなかで生まれるという面もあると思います。最期の時間は、ご本人にとってもご家族にとっても大切な、代えがたいものです。ここで過ごした時間があって良かったと、ご本人にもご家族にも感じていただけるよう、丁寧に関わっていきたいと思っています。

センター長インタビュー

好きなように過ごす、をサポートする

納得のいく最期の時間を

ホスピス住宅では、残された時間を、ご本人やご家族が「ここで、こんな生活ができて良かった」と納得して過ごしていただくことが大切です。そのためには、できるだけ「こんなはずではなかった」という気持ちにならないよう、状況を見極めながら丁寧にやり取りすることが求められます。終末期に、ご家族の心が揺れることは少なくありません。余命と言っても実際にはそれより延びる場合も短くなる場合もあることなどを丁寧にお伝えし、できるかぎり予期せぬ事態が生じないよう配慮をしています。

私も病院で看護師をしていたので、例えば誤嚥のリスクがあれば口からの食事が禁止になるのは理解できます。しかし、食べることが唯一の楽しみという終末期の方から、食べる楽しみを奪うのは正しいことなのか、という迷いはありました。その点、ホスピス住宅は病院ではありませんから、ご本人やご家族ときちんとコミュニケーションを取り、リスクを承知の上で同意してくだされば、往診の先生にも協力していただきながら、できるだけご本人の好きなようにしていただくことができます。

好きなように過ごせる場

病院で、リスクを減らすために様々な制限を受けている姿を見て、これではかわいそうだと感じたご家族が、私たちの所にご相談に来られるケースは少なくありません。ここは「住宅」であり、生活の場です。どのように過ごすかはご本人やご家族が決めたうえで、生活面・医療面で必要なサポートを私たちが提供するのです。

口から食べられるようになるとは到底思えない、外出はとても無理だろうと思われていたのに、入居してみたらすっかり様子が変わっていきいきされる方を、私たちはたくさん見てきました。そして、ご本人が好きなように生活できている姿に、私たちも勇気づけられています。

医療の側で勝手に線を引くのではなく、丁寧にコミュニケーションを取り、ご家族と信頼関係を築いたうえで、ご本人の好きなこと、やりたいことをチームで実現していければ嬉しいですね。