24時間看護師常駐 【カイロス・アンド・カンパニーのホスピス住宅】

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大好きなおしゃべりや歌を大切にできた生活

大好きなおしゃべりや歌を大切にできた生活

ファミリー・ホスピス 本郷台ハウス

和子さん(仮名)のケース

スキルス胃がんの診断を受けた80代の女性。退院先として選ばれたのが本郷台ハウスだった。和子さんは最後まで、自分の好きなもの・やりたいことにこだわり続けた。

2017年2月 スキルス胃がんの診断を受ける
・まずはご家族にのみ告知が行われる
・気持ちの整理には時間がかかった
本郷台ハウスに入居
3月 センサーマット等の設置
・貧血により転倒リスクが高まっていたため、
 部屋に手すりやセンサーマットを設置していた
家族で泊まりがけの温泉旅行に
・お気に入りのピンクの車椅子で出かける
・家族水入らずの時間を過ごすことができた
4月 ハウス内で歌の発表会
・体力は落ちていたが、衣装を着て、自分の力でしっかり立っていた
・10人以上の友人が集まり、盛況に
5月 食事をするのが難しくなる
・食事と薬の内服が困難に
・少しでも食の喜びをと、ご家族が果汁を口に含ませることも
家族に囲まれて亡くなる
・12人の家族が和子さんの最期を看取った

和子さんの胃がんが内視鏡検査で発見されたのは、2017年2月のことだった。診断は、まず家族に伝えられた。和子さん自身は、なかなかがんのことを受け入れられなかったという。家族は退院先探しのなかで、ファミリー・ホスピス本郷台ハウスにたどり着く。家族は見学に訪れ、写真を撮って和子さんに見せるなどしながら、ハウスでの生活を提案。和子さんも納得のうえでの入居となった。入居時プロフィール用紙にも、自身で「長生きは望みません」「食べたいものを食べたい」等と記入している。和子さんはかつて、生命保険の外交員をしていた。はっきりした物言いだが、周囲の人とコミュニケーションをとることが好き。次第にハウスのムードメーカー的な存在になっていった。当時女性入居者がよく談話していた2階のダイニングに、エレベーターで、手押し車を使いながら上ってくる。貧血で体調が思わしくない日でも、まるで自分の使命であるかのように、喜んで皆の盛り上げ役を果たしていた。

趣味の歌も、和子さんの生活には欠かせないものだった。入居前から入っていた、地域のケアプラザの歌の会に車椅子で出かけていく。ハウス内での歌の発表会も企画し、友人のコーラス隊を10人以上集めて歌を披露した。入居2か月ほどが経過し、病状はかなり悪化していたが、発表会の間は自分の力でしっかり立ち、いきいきした姿を見せた。

しかし4月下旬になると、自力歩行は困難になる。息苦しさも出てきたため、スタッフは重点的に症状の緩和につとめた。薬の内服も次第に難しくなっていたが、家族が果汁などを用意すると、なんとか口に含むことができた。

およそ3か月をハウスで過ごして、和子さんは亡くなった。12人の家族に看取られての臨終となる。見送りは、「最後の舞台だから」と家族が歌の衣装を体に着せかけ、拍手で送り出した。

座談会

趣味や好きなものを大切にしながら生活できる

看護師・介護士・調理師そしてセンター長が、和子さんの生活について振り返りました。

好きなこと、好きなもの

介護士:和子さんはやっぱり、ダイニングで皆さんとおしゃべりを楽しんでいらっしゃった印象が強いです。当時は女性の入居者が多くて、とても盛り上がっていましたよ。お話しされている内容は、本当に普通の世間話。これまでの生活歴とか、ときにはここの食事の愚痴だったり(笑)。

調理師:和子さんは、お食事のこだわりは強かったですね。食べられるものがあまりなかったんですが、逆に言うと、好きなものだったら、同じものの繰り返しでもおいしく食べてくださいました。のどごしのいいうどんがいいとか、おかずの量は少量でいい、種類が多いほうが嬉しいとか、要望をはっきりおっしゃるので、こちらとしても作りがいがありました。

看護師:お好きな食べ物はタラの白子とふぐの刺身と鰻と穴子みたいな、もともとは高級志向の方なんですよね。

調理師:そうそう、調理法についても細かくご希望があったりして。漬物なんかは、同じ種類の漬物でも漬かり具合がその日によって違ったりしますよね。「今日の漬物はおいしかった」とか「ちょっと今日はしょっぱすぎて食が進まなかった」とか、いろいろ感想をいただけて、そういうコミュニケーションも楽しかったですよ。

できるかぎり自分の力で

介護士:生活に関して言えば、自力でトイレに行けるように、まずお部屋に手すりを付けたと記憶しています。でも心配なので、踏んだら音が鳴るセンサーマットを設置して、それで安全を確保していました。貧血が進行してからは、お部屋内で転倒されたこともあったんですが、幸い大事には至りませんでしたね。

看護師:転倒されたあと、旅行に出られましたよね。ふらつきはあるけれども、ADLとしては、全く歩けない状態ではないということで。3月の後半に、車椅子でご家族と出かけて、温泉に入って、外泊もして。お土産をいただいたのを覚えています。ご家族を大切にしている方で、お孫さんもしょっちゅういらしていましたよね。娘さんは毎日のようにいらっしゃって、献身的に介護されていました。入浴も、私たちの手を使いながらも、娘さんが中心となって介助していらして。ほとんど泊まり込みでしたね。

介護士:一度、肛門近くに、原因不明の傷ができてしまったことがありました。和子さんは自分のことは自分でする、すごく周りに気を遣われる方だったのですが、その時ばかりはすごくつらいと訴えていらっしゃいました。それで、往診の先生に相談して、皮膚科の先生のところに一度伺うことになりました。

センター長:でも大変でしたね。お忙しい先生だったので、どうにかこうにか調整していただいて、「今日このあと、1時間後だったらいい」みたいな連絡を頂いて。急なお話でご家族の都合も合わなかったので、スタッフ2人が付き添ってクリニックまで行ったんですよね。

介護士:そうなんです。それが、エレベーターがない2階のクリニックで。どうしようかと思ったんですけど、ふたりで担いで階段を上りました。和子さんご自身も決して楽ではなかったと思うんですが、終始嫌な顔ひとつしないで堪えてくれました。

看護師:歌の会のときも、お身体はかなりしんどかったと思うんですが、我慢強いところのある方でしたね。

その人らしい最期

センター長:実は、私が和子さんのことで一番印象に残っているのは、うつぶせ寝で亡くなったことなんです。お尻が痛かったのと、もともとうつぶせで寝るのが好きな方だったこともあって、亡くなったときもうつぶせだった。病院だと、ほとんどの方が上を向いて亡くなりますよね。だから、そこですごくはっとさせられて。こういう亡くなり方もあるんだな、これでよかったな、と思いました。それに、最期は家族揃って看取って、拍手で送り出すことができて。娘さんは、「我が母ながらあっぱれでした」っておっしゃっていましたね。亡くなった半年後ぐらいにも、「寂しいけど、よくここのことを思い出しています」と娘さんから連絡があって。ご家族が「やりきった」と感じられることも大切なことだな、と身に沁みて感じています。

センター長インタビュー

緩和ケアのプロとして、質の高いケアを提供する

ホスピス住宅の使命

私がホスピス住宅の使命と考えているのは、超高齢社会を迎えるなかで、病院に代わる看取りの担い手となることです。現在でも、積極的な治療ができなくなって病院に居られなくなり、厳しい状態で自宅に帰らなければならない方は少なくありません。

以前、人工呼吸器と種々のカテーテル・中心静脈カテーテルや昇圧剤も必要で、MRSAが出ている。そんな状態の中で即座の退院を迫られ、困り果てたご家族様が紹介を受けて私たちのところに来られました。よく話を聞いてみると、全ての治療を止め自宅で看取って欲しいという希望を、ご本人・ご家族様ともに持っていました。医療的なケアが必要な方の場合、24時間自宅で家族が看るのは難しく、またこうした希望を叶えることができるのかわからずに、つらい思いをされていたのです。

別の事例ですが、食事介助はご家族様がされ、下のお世話や痛みを伴うことはホスピスのスタッフが行うことで「看取りの中でいいとこ取りができました」と言ったご家族様もいらっしゃいました。自宅で療養する場合、ほぼ全て家族が担わなければならない医療的なケアや介護を、プロがサポートすることによって病院には居られない、けれど自宅で看取るのも難しい、そんな方が安心して最期を過ごせる場所を提供しています。

ケアの質を追求する

私がスタッフに求めているものは「質」です。まずアセスメントの質が重要です。どんな症状・問題であっても、何が原因で起きているのかを明らかにしなければ対策はできません。例えば、「お風呂の介助をしようと思ったら、背中を痛がったので入れなかった」と報告するだけでは不十分です。なぜ背中が痛いのか、がんの進行のためなのかそれとも設備が問題か…。がんによる痛みなら、がんが体の中で何を起こしているのかをしっかりアセスメントして、それに対して適切なケアを行うのが専門性のあるアプローチと考えます。ここは総合病院と異なり緩和ケアをしたいスタッフが集まっているので、みんなが同じ方向を向いて質を高められます。それが、やりがいに繋がっています。

城島 真理子
ファミリー・ホスピス本郷台ハウス センター長
がん性疼痛看護認定看護師